厚木県央ロータリークラブ

例会日: 毎週金曜日
時間 : 12:30
場所 : 厚木アーバンホテル
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第826回 例会「会員卓話」

例会


開催日 2015年10月16日(金) 12:30~
例 会 「会員卓話例会」
担 当 会員組織委員会 委員長 関原敏文君
会 場 厚木アーバンホテル
週 報   第826回週報



会長タイム


【会長タイム】
皆さん こんばんは 今年度 初めての夜間例会ですが、参加人数が少ないようです。各委員会の委員長さん メンバーに声掛け 皆さん こんにちは 11日の柔道大会で県央ロータリーのゼッケンをつけた高澤会員が健闘しましたが、惜しくも1回戦敗退となりました。ここ最近の例会の出席率が70パーセント台が続いていますので、会員どうしが声をかけあって、出席率をあげていきたいと思います。10月も半ばとなり、米山月間も、あと2週間余りですので、ぜひ寄付をお願いします。
 
<アスリート名言集> 古田 敦也
 現場には、どこかで腹をくくって 決断をする人間がいないといけない。



【例 会】


例会


■卓話「田羅間寿美子の軌跡」
群馬県渋川市で生まれ、56歳の夫と27歳と25歳の息子と10歳になるネコと暮らしております。趣味は、温泉に入ること・サスペンスドラマを観ること・乗馬です。乗馬は最近始めたのでベテランではありませんが、馬が好きな方がおられましたら一緒に行きましょう、子供達の為にと子育てを楽しく過ごして参りましたが、子供達が独立してしまうと、心にポッカリ穴が空いてしまったというか、『これからは外に目うを向け、多くの人と知り合い、いろいろな事を経験したい。』と、家事はそこそこにして『すまいサポート21』の店長として、仕事を頑張りたいと思っております。RCの事も時間をかけて学んで行きますので、皆さん、今後共宜しくお願い致します。
 さて、『すまいサポート21』って何の仕事をしているの?とよく聞かれます。ここで仕事の事に付いてお話したいと思います。例えば、家を建てたと思った時に、ハウスメーカーや工務店・設計士等を探す事から始めると思います。従来ですと、住宅展示場に行ったり、設計士の方に相談したり、工務店に直接依頼していました。そこで営業をかけられたり、こちらの意向とは違うプランを出されたり、断りきれなくなったり、ストレスが溜まる事が多かったと思います。そこで、本人情報を伏せたまま、数社に見積りやプレゼンテーションを依頼する事ができるシステムが当社の特徴です。コンペ(競争)だからこそ、競争の原理が働き、個別に交渉するよりも予算を最大限に活かす事ができる様になります。一度に複数の建築会社のプランを見ることもできます。詳しくはホームページかパンフレットを御覧ください。お店は、アミュー厚木3階にありますので、遊びに来て下さいね。

例会


■卓話「難波真奈美の軌跡」
 札幌で工務店を営む両親の元で2男1女の長女として生まれ、男女の差別なく育てられた。子供の頃から工事現場について行き、楽しく手伝いをしていた。『これからの時代は女でも手に仕事を持たないと駄目だ…』という父の教えもあって、大学は薬学部、ついた仕事は第一三共㈱に就職し、新薬開発治験の仕事をしていた。従業員3000名の上場企業ではあったが、女性管理職はひとりもおらず、疑問に感じていた所、難波造園の3代目社長と結婚をすると同時に寿退社をした。
 子育てと会社の経理・現場担当、そして取締役として忙しい毎日を送っていたが、社長と意見が合わず退社して医薬品業界に戻った。この間、長女のアトピー性皮膚炎の治療で、現代医学の限界を感じ、原因療法(根本治療)予防医学について研究する。自然食療法・薬膳・漢方・アロマテラピー等で自然治癒力を引き出す自然療法による体質改善を行ない、長女は完治した。
 今から5年前、主人である難波造園の社長が急逝してしまい、突然、会社を引き継ぐ事となった。難波造園は明治40年創業、杉・ヒノキ・松他、山林植樹用の苗木を生産販売していました。昭和30年に難波常吉商店として県下一円に苗木販売を拡大していった。昭和46年に㈱難波常吉造園に商号変更をし、造園土木工事を始めるようになった。平成2年に現在の難波造園㈱となり、官公庁の造園・土木・下水道・舗装工事・河川整備・樹木維持管理・マンション、病院個人宅等の外構設計施工を行う様になった。モットーは管理の簡単な庭の設計提案です。
 良いご縁を頂き、厚木県央RCの会員となる事が出来ました事を感謝いたしております。薬学をかじった者として、皆様のお役に立てれば幸いです。最後に『風をひいて、病院で抗生物質を処方される事に、疑問をもった事はありませんか?』何かお薬の事で聞きたいことが御座いましたら、是非お声をかけて下さい。
 本日はありがとう御座いました。

例会


■卓話「関野耕正の軌跡」
 皆様こんにちは。関野工務店の関野耕正です。自己紹介をさせていただきます。私は昭和41年10月20日に厚木で生まれました。厚木幼稚園、厚木小学校、厚木中学校、厚木高校と行きたかったけどテストの点数が悪く前日に無免許運転でつかまり、へろへろでした。初めて厚木警察にお世話になりました。人生の一回目の挫折を味わい、日大三校に入学しました。
 その後、某ライトウイング系の大学に入学するも挫折し、土木の専門学校に行きました。その後バブル期きつき留学を許され、カナダ国際大学と言う大学に留学しました。どんな学校と言うと。はちゃめちゃです。生徒は全員日本人。さすがに先生は全員、カナダ人でしたが。クラスは男6人女23人。何をするにも女の子がいっぱいいました。学校に行くための、JTBの添乗員さんはハーレムのにおいがするって、うらやましがってました。人生の一番のモテキでした。NHKの資本も入っている学校だったので同級生に武内とうこ現在もNHKのアナウンサーがいました。
 その後、どこにも修業行かず、関野工務店に入社しました。趣味はスポーツ観戦とゴルフです。特に皆様と同じでベイスターズファンです。小学校のときは、ハマスタでトランペットも吹いたことがあります。入社した当時はバブルの真っ只中で超忙しかったです。うちの会社は創業大正12年で、関東大震災の後、ヒジイサンとジイサンが、「基礎屋モウカルべって」起こしたと聞いています。事務所もセットバックの関係で行政ともめ建て直す機会を失い、その当時の建物です。昔はやでしたけど今は気に入ってます。
 バブル崩壊後は一度も売り上げは上がらず、ずーとじり貧です。親父の仲間たちの会社もほとんど潰れてしまいました。うちの会社はたまたま田んぼが駅の近くにあったため生き残れたのかなーっておもいます。会社に入ってからの思い出といえば。17、8年前だと思いますが、談合疑惑で厚木署から任意同行を頼まれたときです。はじめは何で呼ばれたかもわからずとまどいました。本当にいやでした。結果は不起訴処分でしたが、横浜で自分より年下の検事に怒られ、次に生まれてくる時は検事になろうと思いました。最近は災害が増えたせいか、なんとなく公共工事も見直されているような、きがし、まあまあ仕事も受注できてます。これからはロータリークラブの一員として がんばって行きたいと思います。よろしくおねがいします。